なるべく安くて立派、コスパの罠

ごきげんよう、糸です。

 

今日は、かつてのわたしも大好きだった「なるべく安くて立派」「コスパ追求」の罠について書いていきます。

 

なるべく安くて立派に行き着く先

わたしがここで言いたいのは、高級志向になれ、とか、貧乏くさいのは嫌だとかそういうことではありません。

この世の中には、企業努力によって質実剛健で安くても頑丈な製品だってあります。

それを否定しているのではなく、「立派に見えるけど、中身はスカスカ」や「見える部分は華やかなのに、素材が粗悪」「高いものを持っていると見られたい」「みんなに羨ましがられたい」などの方向へ行ってしまうと、果たしてそれでいいのか?と思ってしまうわけです。

自分が心から気に入っていて、それを持っているだけで心がワクワクするのではなく、他人にどう思われるかという軸で買い集めてしまうと、安物買いの銭失いにもなってしまいます。心が満たされていない状態なので、どれだけ買っても満たされず、喪失感(精神的にも金銭的にも)が増していくだけです。

また、安いには安いなりの理由もあります。労働力が搾取されていたり、誰かの犠牲で成り立っているものだったり、素材がすごーく悪かったり。

そういうものを身につけていると、物も波動(エネルギー)を放出しているので、その低くて重たい波動を受けると自分にも影響があります。

物だけではなく、例えば旅行や何処かへ滞在した時にも、コスパを追求してしまうと本当に自分の望む旅ができなくなってしまうと思うのです。

せっかくここに来たんだから、あそこにもここにも行って、これを食べて、これをして…と分刻みのスケジュールでカツカツと動いていると、時間が気になってしまって、一つひとつの体験をしっかりと味わうことができなくなってしまいます。

また、旅行や滞在なんて、予想にもできない出来事が醍醐味であるのに、時間や心に余裕がないとシンクロニシティにも気が付けなくなってしまいます。

多くの人が行った先では、体験できることも多くの人が体験したことになってしまいますが、自分の声に従って行動したら、自分にしか体験できなかったスペシャルな経験があるかもしれません。

世間や周りの人がいう●●しておくべき、に従ってしまうと自分のインナーチャイルドの声が無視されてしまいます。他人から言われたことやものに聞く耳を持つのも良いですが、自分の心の内の声を聞いてあげることもしないと、自分の人生を生きていない感覚に陥ってしまったり、自分軸の喪失につながります。

常に生産性やコスパのことを考える癖が私たちには付いてしまっていますので、すぐに自分の心の声に従うことは難しいかもしれません。

時間は有効に使わないといけない、お金の元を取りたい、コスパ追求…

それを遂行した時には、達成感を得られるかもしれません。

でも、それが常となってしまうと、いつも時間とお金に追われて心が休まらなくなってしまいます。

そんな日々が常だから、不定愁訴といった慢性疲労、やる気が出ない、だるい、肩こり、頭痛、幸福を感じないなどの症状が出てしまうと思うのです。

心と体はつながっているので、検査しても薬を飲んでもよくならない、という場合は心の疲労が溜まってしまっていて、解放したいと心が叫んでいるのかもしれませんね。

本当に好きなものに囲まれて好きな時間を過ごしたい

わたしを含め、ほとんどの人がこう思っているかもしれませんが、現実とのギャップに肩を落としてしまうこともありますよね。

でも、他人にどう思われるかや他人の意見を一旦端に追いやって、自分がどう感じるかを考えてみると、それは大してお金が掛からなかったり、すぐにできるものではないでしょうか?

まだまだ理想の生活を送るには足りないところもあるけれど、間違いなく今幸せを感じられることはある。その幸せを感じながら、こうなりたいという理想を毎日毎日思い描いていたら実現できると思うのです。

今は、〇〇を実現している途中。夢を実現している途中なんだ、と考えるとなんだかワクワクしてきませんか?

理想と現実とのギャップに苦しむのではなく、今は途中なんだ、とワクワクしながら生活していれば、後押しするような出来事やメッセージを受信しやすくなると思うのです。

全ては思考が先、現実は後。

今、だからこそできることがあるのです。